死にたい男のブログ 生い立ち6

労働者4の自画像

●労働者編4●

 

長女が「父親が高給の仕事があるから、話したいと言っている」との事でした。
そして、父親の電話番号を聞きました。

離婚後父親とは、父方の祖父が亡くなった時と、長女の結婚式に会ったくらいでした。

父親の事は、もちろん良い印象は無く、離婚以前の子供の時の記憶でも、良い印象はありませんでした。

父方の家系は戦後から5代?まで続いた、船の部品を作る工場を経営していました。

しかし、祖父が経営している時、倒産します。
この時に私の親は離婚する事になります。

その後、私がこれまでの人生を歩んでいる間、父親は事業を始め、それなりに稼いでいたようです。

おそらく、資産が残っていて、それを元手に事業をしていたのだと思います。

私にとって父親は、頭に浮かぶ事もほとんどない存在だったので、憎んでいた気持ちは多少あったのかもしれませんが、どちらかというと、何の感情も湧かない『無』な存在だったので、利用できるなら話を聞いてみようと思い、父親の所で働き始めます。

父親は事務所を持っていて、次の事業の研究、開発中で株主を集めたり、銀行からの融資を集めている状態でした。

私は、電話応対など事務作業、事務所改造の工事、今までの事業の整理から発生した売れる物の営業などをしました。

ただ、全然利益がなく、給料も10万円で、ギリギリ生活できない状態でした。

 

交通費に月1万円かかり、家賃、食費、通信費、健康保険など、どう頑張っても足りませんでした。

 

『自分で稼ぎ出す事を見つけて稼げ』というスタンスで、私がやりたいビジネスモデルを言ってもダメ出しというか、父親の分かるジャンルではないという事で、却下されました。

2回程、辞めると言ったのですが、自分で稼げる力を付けてほしいという事で、止められました。

父親が言うには、「これからどこかの下請け会社に就職しても、幸せにはなれないぞ」という事でした。
確かにその通りなのですが、自分の中ではまたどこかで働きながら、やりたい事を進めるしかないかなと思っていました。

それと、父親は根本的に信用できる人間では無いというのもありました。

ちなみに、この時期に『高等学校卒業程度認定資格』という『旧大学資格検定』を一応取得しました。
世の中、本当に『高卒以上』の求人が多いので一応取得しました。
ただ、これを取得したからといって、学歴が『高卒』になれる訳ではありませんが。

結局、私は辞める事を決意し、父親の所を辞め、メッキ加工工場で働き始めます。

現在に至ります。

今は、音楽の事や、彼女の事、仕事の事を『どうにかしなければ』という事で頭がいっぱいで、『死にたい』という思いが、少し薄れている気がしますが、フッとした時に無性に死にたくなる時があります。

 

 

 

 

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コメント: 3
  • #1

    いさお (土曜日, 28 5月 2016 15:55)

    波乱万丈な人生ですね。言い回しやたまににじみ出る健吾さんの人間性、言葉使いが本気の思いを感じさせますね。

  • #2

    リス (水曜日, 20 9月 2017 10:59)

    無性に死にたくなる気持ち、異常に分かります。
    何で自分て生きてるんだろうとか、今やっていることって本当に意味があるんだろうかとか色々考えてしまいます。
    こう考えてる自分が悔しいし、勿体ないてのも分かるんですけど、考えてしまいます。
    音楽というやりたいことがあるのはうらやましいです。自分も何か生き甲斐を探さなきゃなってのがあります。

  • #3

    柴山 健吾 (水曜日, 20 9月 2017 12:20)

    リスさん
    コメントありがとうございます。

    私にとっての音楽が『生き甲斐』という程の素晴らしい物ではない気もしますし、私自身、立ち直ったわけではないので偉そうな事は言えませんが、
    『生き甲斐』を探している過程も生きる意味になっていると思います。

    リスさんにとって、何か心動かされる物に出会える事を願っています。
    そして、探している過程も楽しめるよう応援してます。